さよなら、大迫バスターミナル
花巻市大迫(おおはさま)。旧大迫町の中心部にある「大迫バスターミナル」。急行大船渡線・急行釜石線の幹線路線が停車する他、石鳥谷や花巻を結ぶ路線と旧大迫町内で完結する路線の運行を行ってきました。平成30年12月29日、旧大迫町内の路線廃止と共に閉鎖されることになりました。
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大迫バスターミナルの前身となる花巻バス大迫営業所の開設は昭和25年。当時は隣の商店から現在の建物がある部分を借りており、バス1台がようやく出入り出来る小さな車庫と猫の額ほどの事務所があっただけだったそうですが、後に敷地を広げ、現在の建屋が出来たのが昭和37年のこと。昭和51年に岩手県交通となり、後にバスターミナル化され花巻営業所の傘下になりますが、花巻営業所も平成16年にバスターミナル化(後に営業所に戻る)され、以降紫波営業所下に置かれることになります。最盛期は車掌も含め50人ほどが居たそうですが、最末期は乗務員9名、事務員2名、車両8台で閉所を迎えることになりました。
歴史を感じる建屋。隣の商店と半ば一体化している不思議な構造です。敷地を借りているのこともあるのでしょうか...?
整備場を兼ねた車庫。現在は整備担当者は常駐しておらず、小規模な整備は花巻工場からオートワークスの社員が出張してきます。
古びた軽油の計量器が歴史を感じさせます。暖房用の灯油は計量器がなく、ポリ缶を「よっこらせ...」と持ってきます。
車庫の先、川沿いには4台分のスペースがあります。
急行釜石行きが到着。構内を発車するバスは勿論、この長距離路線の発着時もベルを鳴らして発車を見送ります。ただの発車合図かと思っていたのですが、回送車の時も、2台同時に出る時も両方のバスに対してベルを鳴らします。きっと「気をつけて行ってきてね」の意もあったのでしょう。
急行路線に対しても一つの休憩点であった大迫。かつての大船渡急行は小友と大迫で休憩していたとか。車両トラブルの際にも整備士を向かわせたり、大迫から代替車両を出すこともあったそうです。
バスターミナル前には路線図。既に消えた路線も勿論そのまま...だったり消されていたり。 建物裏には乗り場案内が残ります。文字は消えかけていますが...。
廃止の案内。この路線の廃止と同時に大迫バスターミナルは歴史に幕を下ろします。

〜〜思い出の大迫〜〜
私にとってはじめての大迫は平成18年のことでした。 モノコック車の楽園だった岩手県交通。3台のCCMがローカル輸送を担っていた大迫へと足を運んだのでした。
青銀のバスが並ぶ光景。
貸切車もいて、古い車両ながらも町内の貸し切り需要に対応していました。
雪の日の大迫。
盛岡行きの大船渡急行が到着。
雨の日の大迫。

〜〜2018/12/24、大迫にて〜〜
大迫バスターミナルの終焉を目前に、バスファン有志によるお別れ会が行われました。
とりあえず3台並べて見ました感。
これが本番ということで、「"なんちゃって"花巻バス」と「さよなら装飾車」の並び。 "なんちゃって"花巻バスはドライバーOBの方にも好評でした。
その他、バスターミナル内の見学や路線バスへの乗車、ドライバーOBや生きた化石「大迫の顔」ともいえる名物運管さんによる思い出話を聞いたり、最後にはミニライブで締めくくりました。
さよなら装飾をした951号車。移籍時から大迫配置で、現存車では大迫在籍歴はこの車両が最も長いでしょう。大迫閉所と共にその役目を終え引退を迎えます。
所属シール「大迫」このシールが貼られた車両も実はほとんどなく..(951の他に923)

歴史のある大迫バスターミナル。12年の付き合いしかない私でも沢山の思い出がありますが、地元の方々にとっては「あるのが当然」というような、今ではあまり見られない、地域に密着した営業所でした。鉄道の駅のない大迫ではどこへ行くにもまずここから、という中で、街の顔、そして人々の集まる憩いの場所だったのでしょう。
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昭和の雰囲気をそのまま残した大迫バスターミナル。そして現代まで残ったローカル線たち。時代の流れ、そして、合併した大きな市の行政の方針には逆らえず、デマンドタクシーやスクールタクシー混乗輸送に姿を変えることになってしまいました。
29日の閉鎖と共に折返所機能も大迫中学校へ変更されるため、年明けには解体が始まります。昭和の雰囲気を残した小さな町の営業所はもうすぐ姿を消し、全てが過去のものになってしまいます...。

たくさん訪問
2018年12月26日公開

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