かみのやま駅前から14分、上山市上生居にある終点です。
宮脇で菖蒲行きと別れ、県道264号線を走ります。だんだん道は狭くなり、
上生居の集落内、公民館の前に終点のバス停が設けられています。
到着したバスは少し先、集落を抜けたところにある三叉路で折返します。
バス停は写真左手のカーブミラーの裏に括り付けられています。
|
バス停ポール。
なぜかカーブミラーに括り付けられている不思議な形態。丸板には「生居」と書かれていますが、
バス停名は「上生居」です。他のバス停に比べてさびているような気が・・・
|
終点から上山方向。
雪が積もっていることもありますが、狭い集落内です。右写真はバス車内から撮影したもの。
右手に停留所のポールが見えます。
|
集落を抜けた三叉路が折返場所。数度切り替えして方向転換します。
|
乗車したのは日野のブルーリボンRU。
旧塗装車は意外と見られましたが、上山市内のローカル線で乗車できたのはここだけでした。
|
運賃は始発のカミン前から400円でした。
幕式の三角表が山交らしいです。
|
「生居」の地名は、現在でも宮生小学校付近にある、「化け石」の伝説に由来しています。
昔々、生居のあたりは昼でも薄暗く、夜になると石が化けて出るという話があって夜通る者もいなかった。ある晩生居の庄屋権左衛門が公用の為、夜遅く家路を急いでいると怪しい気配がして闇の中から化け石の声がする。「待ってください頼みがあります。」権左衛門は何の頼みか化け石に問うと化け石は「私にはたくさんの子があり、食べ物が無く困っています」という。そこで権左衛門、家に戻り一俵の米を握り飯にして化け石の前に供えると沢山の手が出て握り飯を平らげてしまった。すると化け石が権左衛門に「有難うございます。お礼にこの石を差し上げましょう。この石がある限り家も子孫も永久に栄えるでしょう。」と石を渡して闇に消えた。権左衛門はこの石を池に沈めて祀ったが、何と毎年石が幾つもの小石を生み出した。このため「子持石」と評判になったという。こうして村人は石を生きている「生身の石」として村を生石村と改め、さらに生居といわれるようになったという。
[山形歴史紀行より]
|
−−−−−
上山−生居線は菖蒲や赤山同様、カミン前を発車し、かみのやま温泉駅の東側へ向かう路線。
菖蒲行きと同じ経路をしばらく走り、途中の宮脇から北側に入ります。
バスには上山市街地からそこそこの乗車。のどかな田園地帯を走ります。
|
2012年2月15日訪問
2013年1月24日公開
バスの終点へ戻る
トップへ戻る
|